映画『ワッツ・インサイド』の感想|人間の本性は、身体が入れ替わると見えてくるのか?
1. ただの入れ替わり映画だと思ったら、とんでもないことになる
Netflix映画『ワッツ・インサイド』は、なかなか意地の悪い作品だ。
結婚を控えた友人のパーティーに、久しぶりに仲間たちが集まる。そこへ現れた旧友フォーブスが持ち込んだのは、人間の意識を別の人間の身体へ移すことができる、不思議な装置だった。
最初は、ちょっと変わったゲームのつもりだったのだろう。
誰かの身体に入ってみたい。別の人間になったら、どんな気分なんだろう。そんな好奇心は、誰にでも多少はあるかもしれない。
ところが、このゲームが始まった途端、楽しいパーティーは一気に不穏な空気へと変わっていく。隠していた恋愛感情、嫉妬、恨み、そして他人には知られたくない秘密が、次々と表面化していく。
いやあ、人間というのは怖い(笑)。
普段は仲良くしている友人同士でも、心の中まで全部分かっているわけではない。笑顔で接していても、内心では相手を妬んでいるかもしれないし、昔の出来事をいつまでも根に持っているかもしれない。
それでも、普通に付き合っている間は、そうした感情を表に出さずに済んでいる。
ところが、この映画では身体が入れ替わることで、今まで保たれていた人間関係のバランスが崩れてしまう。
自分の身体ではないからこそ、普段ならできないことをしてみたくなる。相手の立場を利用したくなる。誰かの秘密を暴いてやりたくなる。
そして、一度その扉を開けてしまうと、もう簡単には元に戻れない。
この設定が面白いのは、単なるSFの仕掛けで終わっていないところだ。
もし自分が、他人の身体を自由に使えるとしたらどうするだろう。
自分より容姿のいい人間になってみたいか。お金持ちの身体に入って、贅沢な生活を味わってみたいか。それとも、好きな人の気持ちを確かめるために、別の誰かになってみたいか。
考え始めると、ちょっと嫌な気分になる。
なぜなら、そこには自分が普段は隠している欲望が顔を出すからだ。
2. 友人だからこそ怖い。嫉妬と見栄がむき出しになる人間関係
この映画を観ていて気になるのは、登場人物たちが特別な悪人ばかりではないということだ。
彼らは、昔からの友人であり、恋人であり、それぞれの人生を歩んできた人間たちだ。
ところが、集まって話をしているだけでは分からなかった感情が、ゲームを通じて少しずつ明らかになっていく。
誰が誰を好きなのか。誰が誰を見下しているのか。誰が過去の出来事を許していないのか。
仲のいい友人グループというものは、外から見ると楽しそうに見える。しかし、長い付き合いだからこそ、過去の失敗や恋愛のもつれ、ちょっとした一言まで記憶しているものだ。
「あのとき、あいつはこう言った」
「本当は自分のことを馬鹿にしていたんじゃないか」
そんな気持ちが積み重なっていけば、表面上は笑っていても、心の中ではまったく違う関係になっている可能性がある。
しかも、人間は自分に都合のいいように過去を記憶する。
自分が傷つけたことは忘れても、相手に傷つけられたことは覚えている。自分の行動には理由があったと言い訳する一方で、相手の行動には厳しい目を向ける。
これが人間というものなのかもしれない。
もちろん、誰もがそうだというわけではない。でも、自分のことを振り返ってみても、完全に公平な人間でいられるかと聞かれたら、ちょっと自信がない。
この映画の登場人物たちは、そんな人間の身勝手さを極端な形で見せてくれる。
特に面白いのは、身体が変わっても、それまで抱えていた感情までは消えないということだ。
見た目が変わっても、嫉妬する心は残る。身体が変わっても、誰かを好きだという気持ちは残る。そして、自分が受けたと思っている屈辱も残り続ける。
結局、人間を厄介にしているのは、身体だけではないのだ。
3. SNSの時代にこそ考えたい「他人になりたい」という欲望
この作品は、今のSNS社会とも重ねて観ることができる。
SNSを見ていると、他人の生活がやけに立派に見えることがある。
きれいな家、楽しそうな旅行、充実した恋愛、仕事での成功。誰もが幸せそうに見える瞬間が、次から次へと流れてくる。
もちろん、SNSに投稿されるのは、その人の生活の一部分にすぎない。実際には悩みもあれば、失敗もあるだろう。
それでも、見ている側は、他人の一番輝いている瞬間と、自分の何でもない日常を比べてしまう。
そして、「あの人のようになれたら」と思ってしまう。
『ワッツ・インサイド』に登場する人々も、ある意味では同じだ。
自分の身体や人生に満足できない。誰かの容姿や立場がうらやましい。別の人間になれば、今より幸せになれるのではないかと考える。
ところが、他人の身体を手に入れたからといって、その人の人生すべてが手に入るわけではない。
見た目が変わっても、過去の記憶や自分自身の欲望はついてくる。さらに、他人の立場を手に入れたことで、今まで知らなかった問題に直面することもある。
他人の人生は、外から眺めていると魅力的に見える。でも、その人になってみなければ分からない苦労もあるのだろう。
これは、SNSのアカウントを使い分けたり、ネット上で別の自分を演じたりすることにも、少し似ている。
画面の向こうでは理想の自分を演じられる。普段の自分とは違う言葉を使い、違う人間関係を築くこともできる。
だが、どれだけ見せ方を変えても、自分の内面まで簡単に変わるわけではない。
他人の人生をうらやむこと自体は、悪いことではないと思う。そこから、自分も頑張ってみようという気持ちが生まれることもある。
ただ、他人になりたいという気持ちが強くなりすぎると、今の自分にあるものが見えなくなってしまう。
この映画は、そんな欲望を、少々過激な形で突きつけてくる。
4. 【ネタバレあり】入れ替わりゲームの本当の恐ろしさと、衝撃の結末
ここからは結末に触れる。
この映画は、身体が入れ替わるたびに、誰が誰の身体に入っているのかが分かりにくくなっていく。
最初はゲームだったはずなのに、やがて登場人物たちは、自分が元の身体に戻れるのかという問題に直面する。そして、自分が助かるために、誰かを利用しようとする者まで現れる。
ここで描かれるのは、単なる入れ替わりの混乱ではない。
追い詰められた人間が、自分の利益を守るためにどこまでやれるのか、という問題だ。
普段は友人として付き合っていた相手でも、自分の人生が危うくなれば、平気で裏切ることがある。相手を助けるより、自分が助かる道を選ぶ。
もちろん、誰だって自分の身はかわいい。危険な状況で自分を守ろうとする気持ちそのものを、責めることはできないだろう。
ただ、自分が助かるために他人を犠牲にしていいのかとなると、話は別だ。
そして終盤では、フォーブスをめぐる事情にも大きな仕掛けがあったことが明らかになる。実は、フォーブスの身体に入っていたのは、彼の妹ベアトリスだった。彼女には、過去の出来事に対する恨みがあり、この入れ替わりの仕組みそのものが復讐の道具になっていたのだ。
ここまで来ると、もう誰を信用していいのか分からない。
しかも、最後には、それぞれが元の身体に戻れるわけではないという、後味の悪い状況が残される。
個人的に、この結末で考えさせられるのは、復讐というものの厄介さだ。
人から受けた傷は、簡単には消えない。相手に謝罪してほしい、同じ苦しみを味わわせたい、失ったものを取り戻したい。そうした気持ちが、長い年月を経ても消えないことはあるだろう。
しかし、復讐を実行したからといって、傷ついた過去がなかったことになるわけではない。
相手を苦しめることに成功しても、自分の人生まで元どおりになるとは限らない。
この映画の復讐劇が恐ろしいのは、相手を罰するための行為が、関係のない人間まで巻き込み、取り返しのつかない結果へとつながっていくところだ。
そして、身体が入れ替わった状態では、罪を犯したのは誰なのか、誰が責任を負うべきなのかという問題まで複雑になってしまう。
身体と意識が別々になったとき、人間の責任はどこにあるのか。
なかなか簡単には答えが出ない問いである。
5. 本当に怖いのは、身体の入れ替わりではなく人間の中身だった
『ワッツ・インサイド』は、入れ替わりという奇抜な設定を使ったサスペンス映画だ。
次々と状況が変わり、登場人物たちの思惑がぶつかり合う。誰が何を考えているのか、誰が本当のことを話しているのか。最後まで気を抜けない展開になっている。
ただ、個人的には、仕掛けの複雑さだけがこの映画の魅力だとは思わない。
むしろ面白いのは、身体が入れ替わることで、それまで隠されていた人間の内面が見えてくるところだ。
人間は、相手の外見や肩書、社会的な立場で人を判断することがある。
ところが、外見が変わってしまえば、今まで信じていたものが揺らぎ始める。自分が知っていた友人は、本当に自分が思っていたような人間だったのか。
そして、他人の身体に入った自分は、果たして以前と同じ自分なのか。
考えれば考えるほど、ややこしい。
ただ、一つ言えるのは、身体を変えたからといって、人間の欲望や嫉妬、恨みが消えるわけではないということだ。
むしろ、普段は社会的な立場や人間関係によって抑えられていた感情が、別の身体を得ることで表に出てしまう。
そう考えると、この映画のタイトル『ワッツ・インサイド』、つまり「内側には何があるのか」という問いが、じわじわと効いてくる。
人間の本当の姿は、見た目だけでは分からない。
では、言葉や行動を見れば分かるのかといえば、それだって簡単ではない。人は自分をよく見せようとするし、都合の悪いことは隠す。本人でさえ、自分の本心を理解していないこともある。
だからこそ、人間関係は面白くもあり、面倒でもあるのだろう。
この映画は、そうした人間の複雑さを、かなり刺激的な形で見せてくれる。
入れ替わりが何度も起きるので、誰がどの身体にいるのか、頭を整理しながら観る必要はある。それでも、先の読めない展開や、登場人物たちの本性が露わになっていく過程は見応えがある。
観終わったあと、もし自分が誰か別の人間になれるとしたら、と考えてしまうかもしれない。
でも、僕は思う。
他人の身体を手に入れるより、自分の中にある嫌な部分を認めるほうが、よほど難しいのではないだろうか。
誰かをうらやんだり、嫉妬したり、過去の出来事を根に持ったりする。そんな感情は、できれば自分でも見たくないものだ。
それでも、それが自分の中にあると認めることができれば、少しは違う生き方ができるのかもしれない。
『ワッツ・インサイド』は、奇抜な設定で楽しませてくれる一方、人間の内面をのぞき込むような嫌な面白さを持った作品だった。
そして、観終わったあとに残るのは、こんな疑問だ。
もし自分の中身を、友人たちに全部見られてしまったら……。
いや、これはちょっと勘弁してほしい(笑)。

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