韓国映画『マリオネット 私が殺された日』感想・考察|性被害とネット社会の闇、被害者はいつまで苦しむのか?

映画『マリオネット 私が殺された日』の感想

この映画、観ていて正直つらい。

韓国映画には、社会の暗い部分や人間の醜さを容赦なく描く作品があるけれど、『マリオネット 私が殺された日』も、なかなか厳しいものがある。

14年前、女子高生だったミナは、同級生の男たちによる性暴力の被害に遭い、その映像をインターネットに拡散されてしまう。

事件が起きたことだけでも、被害者にとっては耐えがたい苦しみだろう。

ところが、この映画が描いているのは、それだけではない。

被害に遭った女性が、事件のあとも普通の生活を取り戻せないこと。そして、ようやく人生を立て直そうとしたとき、過去が再び彼女を追いかけてくることだ。

いや、もう勘弁してくれよ……。

観ていると、そんな気持ちになってくる。

悪いのは誰なのか。なぜ被害者が、いつまでも苦しみ続けなければならないのか。

本来なら、悪いことをした人間が責任を負うべきだ。それなのに、傷つけられた側が過去を隠し、周囲の目を気にしながら生きていかなければならない。

これは、あまりにも理不尽だと思う。

しかも、この作品は単なる犯人探しのサスペンスでは終わらない。

ネット社会の怖さや、人間の身勝手さ、そして人を傷つける側と傷つけられる側のあいだにある、どうしようもない現実が見えてくる。

観終わったあと、簡単に「面白かった!」とだけは言いにくい。

それでも、こういう映画を観る意味はあると思う。

※この記事では作品のあらすじやテーマに触れています。結末の詳細なネタバレは避けています。

韓国映画『マリオネット 私が殺された日』のあらすじ|14年前の事件が、再び悪夢となって襲いかかる

『マリオネット 私が殺された日』は、イ・ハンウク監督による2017年製作の韓国サスペンス映画。日本では2019年に公開された。主演はイ・ユヨン、共演にキム・ヒウォン、キム・ダミらが名を連ねる。

主人公のミナは、14年前、女子高生だった頃に同級生の男たちから性暴力を受け、その映像をネット上に拡散されてしまう。

その事件は、被害者をまるで意思のない人形のように扱ったことから、「マリオネット事件」と呼ばれる。

事件後、ミナは名前をソリンに変え、別人として生きる道を選ぶ。

過去の傷を抱えながらも、教師という仕事に就き、結婚も間近に控え、ようやく自分の人生を取り戻そうとしていた。

ところが、そんな彼女のもとに、再び過去を思い出させる不気味なメールが届く。

そこから、ソリンの平穏な日常は崩れ始める。

いったい誰が、何のために彼女へ接触してきたのか。

過去の事件と今回の出来事には、どんなつながりがあるのか。

物語は、ソリンと元刑事オ・グクチョル(キム・ヒウォン)を中心に、事件の真相へと迫っていく。

この映画の面白いところは、最初からすべてを説明してくれるわけではないことだ。

観ている側も、ソリンが置かれている状況を少しずつ知ることになる。

誰を信じればいいのか。何が隠されているのか。

サスペンスとして先が気になる仕掛けがある一方で、物語の根底には、性被害を受けた人間がその後どう生きていくのかという重いテーマがある。

だから、謎解きだけを楽しむ映画とも少し違う。

事件の真相を知りたいという気持ちと、ソリンがこれ以上傷つかずに済んでほしいという気持ちが、同時に湧いてくるんだよね。

性被害は、事件が終われば終わるものなのか? 被害者を苦しめる残酷な現実

僕がこの映画を観ていて、特に腹が立つのは、被害者が事件のあとも苦しみ続けなければならないことだ。

犯罪が起きる。

犯人が捕まる。

事件としては、そこで一区切りつくのかもしれない。

でも、被害に遭った人間の人生は、そこで元に戻るわけじゃない。

周囲の人間は、事件を忘れていくかもしれない。

別のニュースが流れれば、世間の関心も移っていくだろう。

けれど、被害者にとっては、簡単に忘れられるような出来事ではない。

ましてや、自分が被害に遭った映像がインターネットに広がってしまったらどうだろう。

いつ誰が見ているのか分からない。

自分の知らないところで、何度も話題にされているかもしれない。

もう終わったと思いたくても、完全には終わらせてもらえない。

これは、本当に怖いことだと思う。

しかも、被害者の側が名前を変え、過去を隠し、周囲の目を気にして生きる一方で、加害者側は普通の生活に戻っているかもしれない。

そう考えると、やりきれない。

もちろん、この映画はフィクションとして構成されたサスペンスだし、描かれている出来事をそのまま現実のすべてと考えることはできない。

それでも、性被害や映像の拡散によって、被害者が長い時間にわたって苦しむという問題は、映画の中だけの話ではない。

被害に遭った人に対して、「いつまで気にしているんだ」「もう終わったことだろう」と言う人がいたら、僕は少し考えてほしいと思う。

そもそも、傷つけられた側が、他人の都合で簡単に気持ちを切り替えられるわけがない。

傷が癒えるまでの時間は、人によって違う。

忘れようとしても忘れられないことだってある。

だからこそ、周囲が勝手に「もう大丈夫だろう」と決めつけてはいけないんだと思う。

この映画は、被害者が取り戻そうとしている人生を、過去が何度も邪魔してくる。

その構図が、観ていて本当につらい。

ネット社会の闇が怖い|映像を拡散する側は、その後の人生を考えたことがあるのか

この作品を観ていると、インターネットというものの怖さについても考えさせられる。

ネットは便利だし、使い方によっては人と人をつなげてくれる。

でも、ひとたび悪意のある映像や情報が拡散されると、被害者が自分の力だけで止めることは難しい。

誰かが投稿する。

別の誰かが保存する。

それをまた別の誰かが拡散する。

そうしているうちに、最初に投稿した人間の手を離れ、どこまで広がっているのかさえ分からなくなる。

しかも、拡散する側は、そこまで深く考えていないのかもしれない。

面白半分だったり、好奇心だったり、単なる暇つぶしだったりする。

でも、投稿された側にとっては、自分の人生を壊しかねない出来事だ。

この温度差が恐ろしい。

拡散する側には、クリックひとつで済むことかもしれない。

ところが、被害を受けた人間は、その映像が広がったことで、仕事や人間関係、結婚、将来のことまで不安に感じるようになるかもしれない。

同じインターネットを使っていても、立場によって、まったく違う現実が生まれてしまう。

ここは、もう少し真剣に考えなければいけない問題だと思う。

僕は、映画を観ていて、ネット上で何かを見かけたときに、自分がどう行動するかも大切なんだと感じた。

興味本位でクリックしない。

むやみに保存しない。

面白半分で誰かに送らない。

当たり前のことだけれど、その当たり前ができているかどうかで、誰かの人生が変わってしまうこともある。

もちろん、映画はサスペンスとして、謎や事件を追う面白さも用意している。

ただ、僕が強く印象に残ったのは、犯人が誰なのかということだけではなかった。

人を傷つけることに慣れてしまった人間の怖さ。

自分がしたことの重大さを理解しようとしない人間の身勝手さ。

そして、被害に遭った人が、その後も生きていかなければならない現実。

そこを考えると、単に犯人を見つけて終わりでは、気持ちが収まらないんだよね。

イ・ユヨンとキム・ダミの演技にも注目|「マリオネット」というタイトルが意味するもの

主演のイ・ユヨンさんが演じるソリンは、過去の事件によって人生を大きく変えられた女性だ。

彼女は、名前を変えて新しい生活を始めている。

教師として働き、結婚も目前に控えている。

ようやく、自分の人生を自分の手に取り戻そうとしているところだった。

だからこそ、過去が再び彼女を追いかけてくる展開が、余計につらい。

せっかく積み重ねてきたものが、また壊されてしまうのではないか。

そんな不安を抱えながら観ることになる。

イ・ユヨンさんの演技は、ソリンの恐怖や戸惑いを通して、過去に向き合わざるを得ない人間の苦しさを伝えてくる。

一方、キム・ヒウォンさんが演じる元刑事オ・グクチョルも、物語の重要な存在だ。

彼は単純に何もかも完璧な正義の人というわけではない。だからこそ、人物としての人間臭さがある。

事件を追うサスペンスとしての面白さは、こうした人物たちが関わることで生まれていると思う。

そして、キム・ダミさんの出演にも注目したい。

現在では『梨泰院クラス』や『THE WITCH/魔女』などで知られる彼女だが、本作も出演作のひとつとして名前が挙がる。出演者の経歴をたどりながら観ると、また違った楽しみ方ができる。

ところで、タイトルの「マリオネット」とは、人形のことだ。

自分の意思とは関係なく、糸を引く誰かに操られてしまう人形。

この言葉は、作中で被害者がどのように扱われたのかを象徴している。

本人の意思や尊厳を無視し、他人の欲望のために利用する。

そして、映像を拡散することで、その人の人生まで自分たちの好きなように扱おうとする。

考えれば考えるほど、嫌なタイトルだと思う。

でも、だからこそ作品のテーマに合っている。

本当なら、自分の人生は自分で決めるものだ。

ところが、誰かの悪意によって、それが難しくなってしまうことがある。

ソリンがもう一度、自分の人生を取り戻せるのか。

そこが、この映画を最後まで観るうえで大きなポイントになると思う。

まとめ|『マリオネット 私が殺された日』は、観終わっても簡単には割り切れない韓国映画

『マリオネット 私が殺された日』は、性被害とネット社会の闇を描いた、重い韓国サスペンスだ。

サスペンスとして、謎を追いかける面白さはある。

誰が事件に関わっているのか。何が隠されているのか。次に何が起きるのか。

そうした部分に引き込まれる一方で、被害者が置かれている状況を考えると、簡単に楽しむだけではいられなくなる。

事件が終わったからといって、被害者の人生まで元通りになるわけではない。

ネットに流れた映像は、本人が望まなくても人の目にさらされ続けるかもしれない。

そして、被害を受けた本人が、周囲の目や過去の記憶に苦しみながら生きていく。

これほど理不尽なことはないと思う。

もちろん、映画としての展開や結末については、観る人によって評価が分かれる部分もあるだろう。

それでも、性被害を受けた人が、事件のあとも苦しみ続けるというテーマは、簡単に片づけられるものではない。

僕は、この映画を観て、誰かを傷つける側の人間が、その行為の重大さをどこまで理解しているのだろうと考えてしまった。

自分にとっては一瞬の行動でも、相手にとっては、その後の人生を左右する出来事になりかねない。

だからこそ、軽い気持ちで人を傷つけてはいけない。

そして、被害に遭った人を、さらに傷つけるようなこともしてはいけない。

当たり前の話なんだけど、映画を通して改めて考えさせられる。

重いテーマなので、誰にでも気軽におすすめできる作品ではない。

それでも、サスペンスが好きな人や、ネット社会の問題を描いた映画に関心がある人には、観る意味のある一本だと思う。

過去の出来事によって、人生を奪われたように感じる人がいる。それでも、その人の人生は、他人のものではない。

観終わったあと、そんなことを考えさせられる映画でした。

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