映画『インファナル・アフェア』三部作の感想・考察|アンディ・ラウとトニー・レオンが描く無間地獄

映画『インファナル・アフェア』感想|三部作を5回観て分かった、勝者のいない無間地獄

映画『インファナル・アフェア』は、もう5回は観ている。

それくらい好きな作品だし、アンディ・ラウとトニー・レオンのファンになったのも、この映画がきっかけだった。

警察に潜入したマフィアと、マフィアに潜入した警察官。

立場は正反対なのに、ふたりとも本当の自分を隠し、別の人間として生き続けなければならない。

普通なら、仕事が終われば自分の時間があるし、気の許せる人の前では素の自分に戻れる。

ところが、このふたりには、それがない。

長年、別の人間を演じ続けていたら、いったい自分は何者なのか、分からなくなってしまうんじゃないだろうか。

この設定だけでも面白いのに、本作は単なる潜入捜査のサスペンスでは終わらない。

自分の人生を取り戻そうとする男たちの苦しさや、過去から逃げられない人間の弱さまで描いている。

僕がこの映画を5回も観てしまうのは、たぶん、ストーリーの面白さだけではないんだと思う。

本当の自分を隠して生き続けた人間は、最後に何を失うのか。

今回は、そんなことを考えさせられる映画『インファナル・アフェア』三部作の感想を書いていきたい。

※この記事には、作品の内容に関するネタバレが含まれます。

映画『インファナル・アフェア』第1作|アンディ・ラウとトニー・レオンの心理戦がすごい

第1作の魅力は、何といってもヤンとラウ、正反対の人生を歩むふたりの存在だ。

トニー・レオンが演じるヤンは、警察官でありながら、長年マフィアの組織に潜入している。

一方、アンディ・ラウが演じるラウは、マフィアの人間でありながら、警察官として出世していく。

警察とマフィア、それぞれの内部に潜むスパイ。

どちらの組織にも内通者がいるわけだから、情報が漏れたら命取りになる。

誰が味方で、誰が敵なのか。

観ているこちらまで疑心暗鬼になってくるんだよね。

しかも、この映画は、派手な銃撃戦だけで緊張感を生み出しているわけじゃない。

電話でのやり取りや、相手の表情、ちょっとした沈黙。それだけで、次に何が起きるのか分からない怖さがある。

そして、アンディ・ラウとトニー・レオン。

このふたりがいいんだよね。

トニー・レオンのヤンには、長年秘密を抱えて生きてきた男の疲れや孤独がにじみ出ている。

大げさに苦しさを訴えるわけじゃない。むしろ、黙っているときの表情に、言葉にできないものが詰まっているように感じる。

一方のアンディ・ラウが演じるラウは、表向きには順調に出世していく。でも、自分の過去を知られるわけにはいかない。

警察官として認められれば認められるほど、本当の自分との矛盾が大きくなっていく。

ふたりとも、自分の望む人生に近づこうとしているはずなのに、なかなかそこへたどり着けない。

ここが苦しい。

普通の犯罪映画なら、最後に悪人が捕まって、正義が勝てばひとまず決着がつく。

でも、この映画はそう単純じゃない。

事件が解決したからといって、失った時間や、本当の自分を見失った苦しみまで取り戻せるわけではないからだ。

そして、観終わると考えてしまう。

いったい、どちらが勝ったんだろう?

まあ、その答えが簡単に出ないところも、この映画の面白さなんだけどね(笑)。

第2作『インファナル・アフェア 無間序曲』|若き日のふたりを知ると、物語がさらに切なくなる

第2作『インファナル・アフェア 無間序曲』は、第1作に至るまでの過去を描いた作品だ。

第1作では、ヤンとラウはすでに長い潜入生活を送っている。

でも、なぜ彼らは、こんな人生を歩むことになったのか。

その背景を知ることで、ふたりの姿がより立体的に見えてくる。

若き日のラウを演じるのはエディソン・チャン。ヤンを演じるのはショーン・ユーだ。

後のアンディ・ラウとトニー・レオンを知っているからこそ、若いふたりを観ていると、なんとも言えない気持ちになる。

この先、彼らがどんな運命をたどることになるのか、こちらは知っているわけだから。

まだ若く、これから先の人生には、いろいろな可能性があったはずだ。

それなのに、少しずつ逃げ場のない場所へ向かっていく。

もちろん、彼らの運命は本人たちの選択だけで決まるわけではない。周囲の人間関係や、そのときの立場、組織の事情など、さまざまなものが絡み合っている。

誰かの選択が、別の誰かの人生を変えてしまう。

それが積み重なった結果、第1作で描かれた状況につながっていく。

第2作を観ていると、最初は単純に見えていた登場人物にも、それぞれの事情があることが分かってくる。

「ああ、そういうことだったのか」と、第1作の出来事を振り返りたくなる場面もある。

それと、個人的に懐かしかったのが香港の風景だ。

当時、僕も香港によく行っていたので、映画に映る街並みを観ていると、ふと昔のことを思い出す。

あの独特の空気感や街の景色。

香港映画って、ハリウッド映画とはまた違う、少し湿ったような雰囲気があるんだよね。

もちろん、街の風景だけで物語が面白くなるわけじゃない。

でも、僕にとっては、その景色も含めて、この作品の魅力になっている。

第2作は、第1作の単純な答え合わせではない。

彼らがどんな人間で、どんな事情を抱えていたのかを知ることで、物語そのものの見え方が変わってくる。

だから、三部作を観るなら、この作品も外せないと思う。

第3作『インファナル・アフェアIII 終極無間』|生き残ったからといって、救われたわけじゃない

そして、第3作『インファナル・アフェアIII 終極無間』。

ここまで来ると、単純な潜入捜査のサスペンスという枠から、かなり離れていく。

第1作では、ヤンとラウの対決に引き込まれた。

第2作では、ふたりがそこに至るまでの背景が見えてきた。

では、第3作は何を描いているのか。

僕は、過去から逃れられない人間の苦しさを描いた物語だと思う。

ラウは警察官として生き残った。

表面的には、自分が望んでいた人生に近づいたようにも見える。

でも、本当にそうなのだろうか。

ヤンの存在は、ラウの中に残り続けている。

事件が終わっても、過去に自分がしてきたことまでは消せない。

周囲から認められたとしても、自分自身が納得できなければ、本当の意味で前に進めないのかもしれない。

第3作では、そんなラウの内面が深く描かれていく。

自分は正しい人間だと思いたい気持ちと、過去にしてきたこと。その間で揺れ続ける姿を観ていると、何とも言えない苦しさがある。

しかも、第1作のように、誰が敵で誰が味方なのかという話だけでは片づけられない。

自分が何を信じているのか。

どこまでが現実で、どこからが自分の思い込みなのか。

観ているこちらも、簡単には整理できなくなる。

ただ、それがこの作品の狙いでもあるんだと思う。

人間は、自分の過去を都合よく消すことができない。

どれだけ立派な人間に見せようとしても、自分自身をごまかし続けることには限界がある。

そして、第3作を観終わると、もう一度第1作を観たくなる。

最初に観たときには気づかなかった表情やセリフが、違った意味を持って見えてくるからだ。

三部作を最後まで観て、ようやく物語全体の輪郭が見えてくる。

この構成は、やっぱりうまいと思う。

『インファナル・アフェア』の意味とは? タイトルに重なる終わりのない苦しみ

ところで、『インファナル・アフェア』というタイトルの意味を考えたことはあるだろうか。

原題は『無間道』。この「無間」は、仏教でいう「無間地獄」を連想させる言葉だ。

絶え間ない苦しみが続く地獄。

そう考えると、このシリーズのタイトルは、ヤンとラウの人生そのものに重なって見えてくる。

ヤンは警察官でありながら、犯罪組織の中で生き続けなければならない。

ラウはマフィアの人間でありながら、警察官として生きる道を選ぼうとする。

どちらも、自分が望む人生に近づこうとしているはずなのに、簡単には抜け出せない。

最初は、目的を達成するために始めたことだったのかもしれない。

ところが、時間がたつにつれて、その立場から降りること自体が難しくなってしまう。

もう少し頑張れば何とかなる。

ここまで来たのだから、今さらやめられない。

そんな気持ちが積み重なって、いつの間にか引き返せなくなる。

これって、潜入捜査に限った話ではないと思うんだよね。

仕事でも、人間関係でも、過去の選択でも、似たようなことはある。

自分が選んだ道なのに、いつの間にか、その道から降りられなくなっている。

もちろん、映画のふたりが置かれた状況とは全然違う。でも、自分の選択に縛られ、少しずつ自分自身を見失っていく怖さには、考えさせられるものがある。

銃を突きつけられることも、命を狙われることも怖い。

でも、本当に恐ろしいのは、自分の人生を自分でコントロールできなくなることなのかもしれない。

そして、周りからどれだけ成功した人間だと思われても、自分の中の苦しみが消えるとは限らない。

そんな人間の矛盾を、三部作はしつこいくらいに描いている。

だからこそ、ただのマフィア映画では終わらないんだろうね。

まとめ|三部作を観て初めて分かる、本当の勝者はいないということ

『インファナル・アフェア』は、派手なアクションや銃撃戦だけを楽しむ映画ではない。

もちろん、緊張感のある展開や、巧みに張り巡らされた伏線も魅力だ。

でも、本当に心に残るのは、登場人物たちの心理や、彼らが抱えている孤独だと思う。

第1作では、誰が勝つのかが気になる。

第2作では、なぜ彼らがこんな人生を歩むことになったのかが見えてくる。

そして第3作では、生き残ったからといって、本当に救われたことになるのかと考えさせられる。

三部作をすべて観ると、第1作だけを観たときとは、まったく違った印象になるんだよね。

最初は、相手を出し抜こうとするふたりの男の物語に見える。

でも、最後まで観ると、こんなことを考えてしまう。

「そもそも、勝ちって何なんだ?」

相手に勝つことなのか。

自分の望む立場を手に入れることなのか。

それとも、本当の自分を取り戻して、自分の人生を生きられることなのか。

簡単には答えが出ない。

だから面白い。

そして、アンディ・ラウとトニー・レオン。

このふたりが向かい合っているだけで、画面に独特の緊張感が生まれる。

視線ひとつ、表情ひとつで、言葉にならない感情が伝わってくる。

何度観ても、やっぱりすごいと思う。

僕がこの映画を5回も観ているのは、単にストーリーが面白いからだけじゃないんだろう。

観るたびに、人物の見え方が変わる。

自分の年齢や経験によっても、受け止め方が変わる。

そして、観終わったあとには、また第1作から観直したくなる。

映画って、こういう作品があるから面白いんだよね。

まだ三部作を観ていない人には、ぜひ3作すべてを観てほしい。

できれば、第1作だけで判断せず、第2作、第3作まで続けて観てほしい。

そうすれば、最初に観たときには気づかなかった人物の表情やセリフが、きっと違って見えてくるはずだ。

派手さだけではない香港映画の底力。

そして、自分が何者なのかを問い続ける人間の苦しさ。

何度観ても、簡単には答えが出ない。

僕がアンディ・ラウとトニー・レオンのファンになった、忘れられない三部作です。

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