映画『プレステージ』の感想|最後まで観ると、もう一度最初から観たくなる
※この記事には、物語の結末やトリックに関するネタバレが含まれます。
クリストファー・ノーラン監督の映画『プレステージ』。
ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールという二人の俳優が、マジシャンとして激しくぶつかり合うサスペンス映画だ。
最初は、ライバル同士が互いのマジックの秘密を探り合う話だと思って観ていた。
ところが、これがなかなか一筋縄ではいかない。
物語は時間を行ったり来たりしながら進み、二人の日記や過去の出来事が少しずつ明らかになっていく。何気ない会話や映像にも意味があり、最後まで気を抜けない。
そして、終盤に明かされる秘密。
いやぁ、これはやられた(笑)。
ただ、単にトリックがすごいというだけではない。観終わってから考えると、二人のマジシャンが何を犠牲にしてきたのか、その違いがとても恐ろしく感じられる。
ボーデンとアンジャー、二人のマジシャンはなぜ憎み合ったのか?
物語の中心になるのは、アルフレッド・ボーデンとロバート・アンジャーという二人のマジシャン。
かつては同じ舞台に立っていた二人だったが、ある水中脱出マジックの事故をきっかけに、関係が大きく変わってしまう。
アンジャーの妻ジュリアが、水中から脱出できずに命を落としてしまったのだ。
その原因をめぐって、二人の間には深い溝が生まれる。
アンジャーはボーデンを憎み、ボーデンもまたアンジャーとの争いに巻き込まれていく。
最初はマジシャンとしてのライバル心だったのかもしれない。しかし、いつしか相手のマジックを超えることよりも、相手に勝つことそのものが目的になっていく。
ここが怖い。
人間って、一度誰かに負けたと思うと、どうしてもそれが気になってしまうことがある。
相手より上に立ちたい。自分のほうが優れていると証明したい。
そんな気持ちは誰にでも多少はあると思うけれど、この二人は度を越している。
自分の人生を楽しむことより、相手を打ち負かすことを優先してしまう。そこまでして勝ちたいのかと思う反面、その執念が物語をどんどん面白くしていく。
ヒュー・ジャックマンとクリスチャン・ベールの演技が素晴らしい
この映画の面白さを支えているのが、二人の俳優の演技。
アンジャーを演じるヒュー・ジャックマンは、華やかで観客を魅了するスター型のマジシャン。舞台での見せ方や人を引きつける力に長けている。
一方、ボーデンを演じるクリスチャン・ベールは、マジックの仕掛けそのものにこだわる職人肌の人物。
同じマジシャンでも、二人の考え方はまるで違う。
アンジャーは観客からの喝采を求め、ボーデンは誰にも真似できない本物のトリックを追い求める。
もちろん、どちらにも才能がある。ただ、その才能の使い方が違う。
個人的には、二人のどちらが正しいのか、簡単には決められなかった。
アンジャーの気持ちも分からなくはない。妻を失った悲しみや怒りが、ボーデンへの憎しみに変わっていったのだから。
ただ、その復讐に人生のすべてを使ってしまう姿には、どうしても危うさを感じる。
ボーデンも同じ。マジックのために自分の生活や家族を犠牲にしていく。
才能があることと、幸せに生きられることは別なのかもしれない。
プレステージのネタバレ考察|瞬間移動マジックのトリックとは?
ここからは、物語の核心に触れていきたい。
二人が競い合うことになるのが、「瞬間移動」のマジック。
舞台の片側に入ったマジシャンが、次の瞬間には離れた場所に現れる。観客からすれば、まさに魔法のような芸当だ。
ボーデンは、このマジックを驚くほど自然に成功させる。
アンジャーはその秘密を知ろうとするが、どうしても分からない。
そして、最後に明らかになるボーデンのトリック。それは、彼が双子だったというもの。
二人の兄弟が一人のアルフレッド・ボーデンとして生き、舞台でも日常生活でも役割を入れ替えていた。
つまり、瞬間移動の秘密は、特別な装置でも魔法でもなく、双子による入れ替わりだった。
これを知ったとき、今までの場面がまったく違って見えてくる。
妻のサラが、夫の気持ちが日によって違うと感じていたことも、二人の兄弟が別々の感情を持っていたと考えれば納得できる。
一人はサラを愛し、もう一人はオリヴィアに惹かれていた。
それでも二人は、一人の人間として生き続けなければならなかった。
マジックを成功させるために、人生そのものを演じていたわけだ。
一方、アンジャーがたどり着いた方法は、さらに恐ろしい。
科学者ニコラ・テスラに依頼して作らせた装置によって、自分自身を複製するというものだった。
舞台で瞬間移動を披露するたびに、アンジャーと同じ姿の人間がもう一人現れる。そして、その一人は水槽の中で溺れ死ぬ。
最後に並んでいた水槽の中の遺体は、その犠牲になったアンジャーの複製だった。
ここまで来ると、もうマジックというより狂気に近い。
観客を驚かせるために、自分と同じ人間を何度も生み出し、その命を犠牲にする。
しかも、装置を使うたびに、どちらが舞台に立ち、どちらが死ぬのかという問題まで生まれる。
アンジャーは、そこまでして喝采を浴びたかったのだろうか。
ラストの結末が怖い!本当に勝ったのはどちらなのか?
終盤、ボーデンの一人はアンジャー殺害の罪を着せられ、絞首刑になってしまう。
しかし、もう一人のボーデンは生き残っていた。
アンジャーの前に現れたのは、処刑された兄弟とは別のボーデン。彼はアンジャーを撃ち、長い争いに終止符を打つ。
そして、最後に明らかになるアンジャーの秘密。
地下室には、彼の複製が入った水槽がいくつも並んでいた。
この光景は本当に衝撃的だった。
ボーデンは双子の兄弟と人生を分け合い、二人で一人のマジシャンを演じていた。
アンジャーは自分自身を犠牲にしながら、観客の喝采を手に入れていた。
どちらもマジックのために人生を捧げたけれど、その代償はあまりにも大きい。
最後に生き残ったボーデンは、アンジャーの娘を引き取り、彼女のもとへ向かう。
ここでようやく、彼はマジック以外の人生を取り戻そうとしているようにも見える。
では、本当に勝ったのはボーデンなのだろうか。
確かに命は残った。しかし、兄弟の一人を失い、もう一人も長い間、自分の人生を犠牲にしてきた。
勝ったと言い切るには、失ったものが多すぎる。
アンジャーも同じ。舞台では観客を驚かせ、喝采を浴びたけれど、その裏側では自分自身を何度も殺していた。
勝負に勝つことと、人生に勝つことは違う。そんなことを考えさせられる結末だった。
映画『プレステージ』のタイトルに込められた意味とは?
タイトルの「プレステージ」は、マジックの用語で、最後に消えたものが再び現れる第三段階を指している。
映画の中でも、マジックは三つの段階で説明される。
最初に観客へ普通のものを見せる「プレッジ」。次に、それを消して驚かせる「ターン」。そして最後に、消えたものを再び登場させる「プレステージ」。
この構成は、映画そのものにも重なっている。
最初は何でもないように見えた場面が、最後の種明かしによって別の意味を持ち始める。
だから、結末を知ったあとにもう一度観ると、最初に見たときには気づかなかった仕掛けが見えてくる。
ちなみに、ノーラン監督は『メメント』や『インセプション』など、観客の思い込みを巧みに利用する作品でも知られている。
『プレステージ』もまさにそのタイプ。観客は映画を観ているつもりで、いつの間にか自分自身も騙されている。
そして、最後にそのことに気づかされる。
映画『プレステージ』を観終わって|才能と執念は、人を幸せにするとは限らない
『プレステージ』は、マジシャン同士の対決を描いたサスペンスでありながら、人間の嫉妬や執念について考えさせられる作品だった。
相手に勝ちたい。自分の才能を認めさせたい。誰よりも優れた存在になりたい。
その気持ち自体は、決して悪いことではないと思う。
ただ、それが強くなりすぎると、周りが見えなくなってしまう。
家族も、愛する人も、自分自身の幸せさえも後回しにしてしまう。
ボーデンもアンジャーも、マジックに人生を捧げたという意味では同じ。でも、二人のやり方も、最後に手にしたものも違っていた。
僕が特に印象に残ったのは、どちらも相手に勝つことに夢中になりすぎて、本来の目的を見失っているように見えたこと。
そもそも、マジックは観客を楽しませるためのものだったはず。
それなのに、いつの間にか相手を打ち負かすことが一番になってしまった。
何かに夢中になることは素晴らしい。でも、それによって大切なものを失ってしまったら、いったい何のために頑張ってきたのか分からなくなる。
そんなことを考えさせられた。
そして、この映画は一度観ただけでは終わらない。
結末を知ったうえでもう一度観ると、登場人物の表情や何気ない言葉の意味が変わってくるはず。
マジックの種明かしを楽しみたい人はもちろん、伏線が張り巡らされたサスペンスが好きな人にもおすすめしたい。
いやぁ、最後まで見事に騙される映画だった。

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