映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の感想|もう二度と観たくない。でも忘れられない
マジ……重い映画だった。
ここまでやりきれない気持ちになるとは。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、ひと言でいえば、息子を愛する母親の物語だ。
主人公のセルマは、目がだんだん見えなくなる病気を抱えながら、工場で働いている。自分と同じ病気になるかもしれない息子のために、手術のお金を必死に貯めているのだ。
ここだけ聞けば、親子の愛を描いた感動的な映画に思えるかもしれない。
ところが、物語はそんな簡単な方向には進まない。
セルマに起きることが、あまりにもつらい。少しでも幸せになってほしいと思うのに、次々と悪いことが起きてしまう。
しかも、最後に待っている結末がまた残酷。
この映画は「感動した」という言葉だけでは片付けられないと思う。観終わったあと、怒りや悲しさ、何とも言えない悔しさが残る作品だった。
ちなみに、マツコ・デラックスさんもテレビ番組でこの映画について話している。ビョークが演じたセルマの姿に強く感情移入し、映画を観たあと1か月ほど家で泣いていたと語っていたそうだ。
それほど、人の心に深く入り込んでくる映画なのだと思う。
映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のあらすじ|息子の目を救うために働く母親
物語の舞台はアメリカ。
主人公のセルマは、チェコから移住してきたシングルマザー。工場で働きながら、息子のジーンを育てている。
セルマには、少しずつ視力を失っていく病気があった。そして、その病気は息子にも遺伝する可能性がある。
ジーンは13歳までに手術を受けなければ、いずれ目が見えなくなってしまう。
だからセルマは、息子の手術費用を貯めるために、毎日必死で働いていた。
自分の目が見えなくなっていくことよりも、息子の将来を心配している。母親として、何とかしてあげたい。その一心だった。
そんなセルマの楽しみは、ミュージカル映画を見ること。そして、日常の中で聞こえてくる機械の音や足音に合わせて、頭の中で歌や踊りを思い描くことだった。
ところが、視力が落ちて仕事にも支障が出始め、工場での立場も悪くなっていく。
さらに、信頼していた隣人のビルとの間にも大きな問題が起きる。
息子のために貯めていた大切なお金を失い、セルマの人生は取り返しのつかない方向へ進んでいく。
ここから先は、観ていて本当につらい展開が続く。
セルマが歌うミュージカルの場面が印象的
この映画の面白いところは、重い現実の中に突然ミュージカルの場面が入ってくること。
普通のミュージカル映画なら、明るく華やかな歌や踊りで楽しませてくれることが多い。
でも、この作品は少し違う。
セルマにとって歌や踊りは、楽しいだけのものではない。苦しい現実から少し離れて、自分の心を守るための大切な時間なのだと思う。
工場の機械が動く音、電車の音、周りの人が立てる音。そんな何気ない音が、セルマの頭の中では音楽に変わっていく。
現実の映像は手持ちカメラで撮影されたような、少し落ち着かない雰囲気。一方、ミュージカルの場面では映像の見せ方も変わり、別の世界に入ったように感じる。
この違いがとても印象的だ。
ただ、観ているうちに、楽しいはずの歌の場面まで悲しくなってくる。
セルマが歌っている間だけは、つらい現実を忘れられる。でも、歌が終わればまた現実に戻らなければならない。
その繰り返しが、何とも切ない。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』ネタバレ|息子のために起きた悲劇と衝撃の結末
ここからは物語の結末まで触れるので、未鑑賞の方は注意してほしい。
セルマは、息子の手術費用として貯めていたお金を、隣人のビルに盗まれてしまう。
ビルはお金に困っていた。セルマが目の見えないことを利用して、貯金のありかを知り、お金を持ち去ってしまったのだ。
返してほしいと訴えるセルマ。しかし、話し合いはうまくいかず、二人はもみ合いになる。
その結果、セルマはビルを撃ち殺してしまう。
もちろん、殺人は許されることではない。ただ、息子のために必死で貯めたお金を奪われ、追い詰められていくセルマを見ていると、何とも言えない気持ちになる。
その後、セルマは逮捕され、裁判にかけられる。
ところが、彼女の事情は十分に理解されない。自分の病気や息子の手術費用についても、思うように伝えることができず、最終的に死刑を宣告されてしまう。
ここまでくると、もう何とかならないのかと思ってしまう。
友人のキャシーたちはセルマを助けようとする。弁護士をつけて、死刑を避ける方法を探そうとするのだ。
しかし、セルマが何よりも望んでいたのは、自分が助かることではなかった。
息子の手術を受けさせること。
そのために、最後までお金を使わないでほしいと願う。
そして、ついに死刑が執行される日がやってくる。
セルマは最後まで歌を口ずさみながら、自分の恐怖と向き合おうとする。
しかし、最後の瞬間まで彼女に救いは訪れない。
息子の手術は無事に成功した。けれど、そのことを自分の目で確かめることも、息子と一緒に暮らすこともできなくなってしまった。
あまりにも悲しい結末だ。
なぜセルマは自分より息子を選んだのか?
この映画を観て、考えさせられるのがセルマの行動だ。
彼女は、周りの人にもっと頼ることができなかったのだろうか。自分の事情をきちんと説明していれば、違う結果になったのではないか。
観ていると、そんな疑問も出てくる。
実際、セルマのことを心配して助けようとする人はいる。それでも彼女は、自分の考えを変えようとしない。
少し頑固すぎるようにも見えるし、もっと周りの人を信じてほしいとも思う。
でも、彼女の頭の中には、息子の将来しかなかったのかもしれない。
自分の目が見えなくなっていくことは受け入れても、息子まで同じ思いをすることだけは避けたかった。
母親としての愛情はよくわかる。
ただ、だからといって、セルマの選択をすべて正しいと言えるかどうかは別の話だと思う。
息子にとって、本当に必要だったのは目の手術だけだったのか。母親と一緒に暮らすことも、同じくらい大切だったのではないか。
この映画は、そんな簡単には答えの出ない疑問を残していく。
映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観た感想|悲しいだけでは終わらない作品
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、いわゆる「鬱映画」と呼ばれることもある。
確かに、観ていて気持ちが沈む。明るい気分になれる映画ではないし、もう一度観るにはかなりの覚悟がいると思う。
それでも、なぜこれほど多くの人の記憶に残るのか。
やはり、セルマを演じたビョークの存在が大きい。
彼女はもともとアイスランド出身の歌手で、この作品では主演を務めている。演技経験が豊富な俳優とは違う、どこか不安定で、危なっかしくて、目が離せない演技が印象に残る。
そして、歌声がまたいい。
明るく歌っているはずなのに、その歌声を聞いていると悲しくなってしまう。セルマの心の中をそのまま聞いているような気がするのだ。
ちなみに、この作品は2000年のカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞し、ビョークも主演女優賞を受賞している。映画として高く評価された一方で、あまりにもつらい内容から、好き嫌いが大きく分かれる作品でもある。
僕は、こういう映画を観ると、家族と過ごす何でもない時間がどれほど大切なのかを考えてしまう。
一緒にご飯を食べる。くだらない話をする。何事もなく一日が終わる。
そんな普通のことが、実はとても幸せなのだと思う。
セルマは息子のために、そこまでして手術費用を残そうとした。でも、その先に息子と一緒に過ごす未来はなかった。
親の愛情とは何なのか。子供の幸せとは何なのか。
簡単に答えを出せる話ではない。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、観終わって気持ちよくなる映画ではない。むしろ、しばらく引きずってしまうような作品だ。
でも、ただ悲しいだけではなく、観た人それぞれに考えるものを残してくれる。
もう二度と観たくないと思う人がいても不思議ではない。それでも、一度観たら忘れられない。
そんな力を持った映画だと思う。

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