映画『アジョシ』の感想|強い男のカッコよさだけでは終わらない、孤独と再生の物語
1. ウォンビン、カッコよすぎるだろ!でも、それだけの映画じゃない
韓国映画『アジョシ』を観て、まず思うこと。
ウォンビン、カッコよすぎるだろ。
いや、本当にそう思う(笑)。
無口で、無愛想で、普段は何を考えているのかよくわからない男。それがひとたび戦い始めると、とんでもない強さを見せる。
銃を構える姿も、ナイフを使った格闘も、無駄な動きが少なくて、とにかく絵になる。
しかも、あの顔である。
もう反則だろ、と思う。
ただ、この映画を「ウォンビンが強くてカッコいい映画」という一言で片づけるのは、ちょっともったいない。
2010年公開の『アジョシ』は、質屋を営む孤独な男チャ・テシクが、犯罪組織に連れ去られた少女ソミを救うために戦う物語だ。
ストーリーの骨格だけを見ると、決して珍しい設定ではない。過去に秘密を抱えた男が、弱い立場の少女を救うために悪党たちと戦う。アクション映画ではよくある展開だ。
ところが、この作品には、派手なアクションだけでは終わらないものがある。
テシクは、ただ悪人を倒したいわけではない。少女を助けるために戦いながら、自分自身も失っていた何かを取り戻そうとしているように見えるのだ。
人と関わることを避け、世の中から距離を置いて生きてきた男が、ひとりの少女との出会いによって変わっていく。
僕がこの映画で心を動かされたのは、まさにそこだった。
2. 『アジョシ』は怖い?グロい?韓国映画らしい容赦のなさ
『アジョシ』を観ようと思っている人の中には、「怖い映画なの?」「グロい場面はある?」と気になっている人もいるだろう。
結論から言えば、ホラー映画ではないけれど、暴力描写はかなり強烈だ。
犯罪組織が関わる事件は、単なる銃撃戦や殴り合いでは済まない。人間を人間とも思わないような扱いが描かれ、観ていて気分が悪くなる場面もある。
特にナイフを使った近接戦闘は、派手な爆発や大げさな演出でごまかすのではなく、肉体が傷つく怖さを感じさせる。
僕はこういう映画を観ていると、悪人の強さよりも、人間はどこまで残酷になれるのだろうと考えてしまう。
もちろん、映画だからこそ描ける極端な世界ではある。
それでも、そこにある恐怖は、怪物や幽霊が襲ってくるようなものとは違う。金や欲望、自分さえよければいいという身勝手な考えが、人間をどこまで残酷にしてしまうのか。その怖さがある。
これは現代社会にも通じる話だと思う。
人を商品や道具のように扱い、自分の利益のためなら相手の尊厳など気にしない。そんな考え方は、映画の中の犯罪組織だけの問題ではない。
現実でも、立場の弱い人や助けを求めにくい人が、犯罪や搾取の被害に遭うことがある。
だからこそ、ソミのような少女が置かれた状況は、単なるアクション映画のための設定として片づけられない。
ただし、残酷な場面が苦手な人は注意してほしい。ウォンビンのカッコよさだけを期待して気軽に観ると、思った以上にきつい作品かもしれない。
3. ウォンビンのアクションが凄い!ナイフの戦闘シーンが忘れられない
この映画の見どころといえば、やっぱりウォンビンのアクションだ。
特に終盤のナイフを使った戦闘シーンは、強烈な印象が残る。
相手との距離が近い。動きが速い。そして、余計な動作が少ない。
ただ派手に動いているのではなく、戦うために訓練された人間の動きに見えるんだよね。
もちろん映画なので、現実の戦闘をそのまま再現しているわけではない。それでも、あの動きには独特の緊張感がある。
相手を倒すことが目的というより、目の前の障害を排除して、一刻も早くソミのもとへたどり着こうとしているように感じる。
テシクにとって、戦いは見せ場ではない。ソミを救うために必要なことなのだ。
だから、アクションの中にも感情が見える。
怒り、焦り、そして何としてでも助けたいという気持ち。テシクが普段はほとんど感情を表に出さない男だからこそ、戦うときの姿が余計に印象に残る。
それにしても、あの顔であの動き。
やっぱり反則だろ(笑)。
ただ、ウォンビンの魅力は、強さだけではないと思う。
普段のテシクは、どこか寂しそうで、何かを諦めてしまったような雰囲気がある。そんな男が、少女を救うために少しずつ過去と向き合い、再び誰かのために生きようとする。
この変化があるからこそ、アクションにも意味が生まれる。
ただ無敵の男が敵を倒す
