映画『さがす』感想|佐藤二朗の怪演が胸に刺さる、父と娘の愛情だけでは割り切れない物語

映画『さがす』の感想|本当にさがしていたのは、いなくなった父親だけなのか?

※この記事には、映画『さがす』のストーリーや結末に触れるネタバレが含まれます。

1. 映画『さがす』は、父親をさがすだけの映画ではなかった

いやぁ、この映画は簡単に感想を書けないね。

最初は、突然いなくなった父親を娘がさがすサスペンス映画だと思っていた。ところが、観ているうちに、こちらが思い込んでいた人物像が少しずつ崩れていく。

大阪の下町で暮らす父親の原田智と、中学生の娘・楓。ある日、智は娘に「指名手配中の連続殺人犯を見た」と話す。捕まえれば懸賞金がもらえるというのだ。

ところが翌朝、智は姿を消してしまう。

父親がいなくなった楓は、必死になって行方をさがす。しかし、手掛かりを追っていくうちに、父親の名前を名乗る見知らぬ男と出会い、事態は思いもよらない方向へ進んでいく。

監督は『岬の兄妹』の片山慎三。主演は佐藤二朗だ。

『岬の兄妹』もそうだったけれど、この監督の映画は、人間のきれいな部分だけを見せてくれない。生活の苦しさや、簡単には説明できない欲望、他人には見せたくない部分まで容赦なく描いてくる。

しかも、ただ暗いだけではない。観客に「この人は悪い人だ」と簡単に決めつけさせないところが厄介なんだよね。

この映画のタイトルは『さがす』。

父親をさがす。犯人をさがす。そして、登場人物たちが自分の中にある何かをさがしているようにも見える。

観終わったあとには、タイトルの意味まで少し違って感じられる作品だった。

2. 佐藤二朗の演技がすごい。いつものイメージで観ると驚く

佐藤二朗と聞くと、独特の間やアドリブっぽいしゃべり方、コミカルな演技を思い浮かべる人も多いんじゃないだろうか。

もちろん、それも彼の大きな魅力だと思う。

でも、この映画の佐藤二朗は、普段テレビで見る姿とはかなり違う。

演じるのは、娘を残して姿を消す父親・智。どこか頼りなくて、生活もきちんとしているとは言いがたい。それでも、娘との間には親子らしい距離感がある。

この人物が何を考えているのか。何を隠しているのか。

佐藤二朗の表情や、ちょっとした目の動きが気になって仕方がない。

人間って、いつも本音を口にするわけじゃない。むしろ、大事なことほど隠したり、冗談でごまかしたりすることがある。

智という男も、ひとことで説明できる人物ではない。

娘を思う気持ちがあるように見える一方で、理解しがたい行動もする。観客としては「いったい何をやっているんだ」と言いたくなる場面もある。

それでも、ただの悪人として片づけることができない。

ここを成立させているのは、佐藤二朗の演技力だと思う。

コミカルな印象が強い俳優だからこそ、その裏にある人間の弱さや、追い詰められた男の姿が余計に生々しく見える。

俳優のイメージが役に重なることで、かえって強烈な違和感が生まれる。こういうキャスティングは面白いね。

3. 伊東蒼が演じる楓。子どもだからこそ見えているもの

この映画で、もうひとり印象に残るのが、娘の楓を演じた伊東蒼だ。

父親がいなくなったら、普通なら不安でたまらないはずだ。ましてや、まだ中学生である。

それでも楓は、警察に頼るだけではなく、自分の足で父親をさがそうとする。

その姿を見ていると、子どもというのは、大人が思っているほど何もわかっていないわけではないんだなと思う。

親は、子どもに心配をかけないように振る舞うことがある。自分の失敗や苦しみを隠し、何でもない顔をする。

でも、子どもは案外、そういう小さな変化を見ているものだ。

もちろん、すべてを理解できるわけではない。それでも、いつもと違う表情や、言葉の端々から何かを感じ取っている。

楓は父親のことを心配しながらも、ただ何も知らない子どもではいられない状況に追い込まれていく。

伊東蒼の演技には、そんな年齢相応の幼さと、否応なく現実を受け止めなければならない強さが同居している。

父親を信じたい気持ちと、目の前で起きていることを無視できない気持ち。

その両方を抱えた楓を見ていると、こちらまで苦しくなる。

親子だからといって、相手のすべてを知っているわけではない。近くにいるからこそ、見えていない部分もある。

むしろ、近すぎる関係だからこそ、相手の本当の姿を認めるのが難しいこともあるんだろう。

4. 善人と悪人を簡単に分けられない。人間の怖さはそこにある

『さがす』を観ていて、いちばん引っかかるのは、人間の善悪を簡単に決められないところだ。

もちろん、誰かを傷つける行為や、取り返しのつかないことを正当化するつもりはない。悪いことは悪い。

ただ、現実の人間は、映画に出てくるわかりやすい悪役のように、最初から最後まで悪人らしい顔をしているわけではない。

普通に話すし、誰かに親切にすることだってある。日常生活の中では、ごく普通の人に見えることもある。

だからこそ怖い。

この映画に登場する人物たちも、それぞれに事情や欲望を抱えている。自分の苦しさから逃れたい人もいれば、誰かにすがりたい人もいる。

追い詰められた人間が何を選ぶのか。その選択によって、別の誰かが傷ついてしまう。

人間は弱い生き物だと思う。

でも、弱いからといって、何をしても許されるわけではない。

この二つを同時に考えさせられるところが、この作品のしんどさであり、見応えでもある。

ところで、片山慎三監督の『岬の兄妹』を観た人なら、今回も人間の生々しい部分を正面から描く作風に気づくと思う。

ただし、『さがす』は単純に人間の醜さを見せるだけの映画ではない。父と娘の関係を軸にすることで、他人には理解しきれない事情や、家族だからこそ生まれる複雑な感情も描いている。

人を善人か悪人かの二択で判断するのは簡単だ。

でも、その人がどうしてそこにたどり着いたのかまで考え始めると、話はそう単純ではなくなる。

この映画は、その簡単には割り切れないところから目をそらさせてくれない。

5. 観終わって残るのは、父親への答えよりも親子の難しさ

映画の終盤まで観ると、最初に抱いていた父親への印象も、娘への見方も変わってくる。

ただ、すべてがきれいに片づいて、気持ちよく終わるような作品ではない。

観終わったあとも、あれはどういう意味だったのか、あの人物は何を考えていたのかと、いろいろ考えてしまう。

個人的に思うのは、家族だからといって、何もかもわかり合えるわけではないということだ。

親は子どものことを大切に思っていても、間違えることがある。子どもも親を信じていても、いつか受け入れられない現実に直面することがある。

それでも、家族という関係は簡単には切り離せない。

好きだから許せることもあれば、好きだからこそ許せないこともある。

この映画の父と娘を見ていると、そんな矛盾を考えさせられる。

親子の愛情があれば何とかなる、という単純な話ではない。愛情があっても埋められない溝があるし、相手を思う気持ちだけでは解決できない問題もある。

それでも、人は誰かを気にかけたり、信じたり、時には疑ったりしながら生きている。

だからこそ、楓が父親をさがし続ける姿が胸に残るのだと思う。

『さがす』は、サスペンスとしての面白さだけでなく、人間の弱さや家族の複雑さまで描いた作品だ。

明るく楽しい気分になれる映画ではないし、重いテーマが苦手な人には少々きつい場面もあると思う。

それでも、単純な善悪では片づけられない人間ドラマが好きな人には、一度観てほしい。

佐藤二朗のイメージが変わるかもしれないし、伊東蒼の演技にも引き込まれるはずだ。

そして観終わったあと、自分だったら家族のどこまでを知りたいと思うだろうか、と考えてしまう。

人をさがすことと、その人の本当の姿を知ることは、同じようでいて、まったく違うのかもしれない。

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