1. 歌舞伎に興味がなかった僕が、175分間も夢中になった理由
正直に言うと、映画を観る前は歌舞伎にほとんど興味がなかった。
伝統芸能という言葉を聞いても、どこか自分とは縁のない世界という感じがしていたし、ましてや歌舞伎役者の人生を描いた映画に、そこまで期待していたわけではない。
しかも上映時間は175分。
3時間近い映画となれば、途中で少しくらい退屈する場面があっても仕方ないと思っていた。
ところが、実際に観てみると、これがまったく違った。
気がつけば、歌舞伎の舞台だけでなく、舞台裏の人間関係や役者たちの生き方にまで引き込まれていた。
この映画の面白さは、歌舞伎を知らなくても楽しめるところにあると思う。
もちろん、歌舞伎の知識があれば、もっと深く理解できる部分もあるのだろう。
ただ、僕が夢中になったのは、伝統芸能そのものよりも、そこに人生を懸ける人間たちの姿だった。
才能があっても、それだけでは上に行けない。
努力しても報われるとは限らない。
誰かを尊敬しながら、同時に嫉妬してしまう。大切な相手であっても、心のどこかでは負けたくないと思っている。
人間のそういう面倒くさい感情が、この映画には容赦なく描かれている。
綺麗事だけでは終わらないからこそ、面白い。
そして、歌舞伎のことを何も知らなかった僕に、芸を極めるとはどういうことなのか、少しだけ考えさせてくれた。
2. 吉沢亮と横浜流星、美しさだけではない二人の役者魂
この映画で、まず目を奪われるのが吉沢亮と横浜流星だ。
二人とも本当に美しい。
ただ、単に顔立ちが整っているという話ではない。舞台に立ったときの姿、指先の動き、視線の置き方、立ち居振る舞いまで含めて美しいのだ。
特に女形として舞う姿には驚かされた。
男性が女性を演じるということは、ただ女性らしい動きをすればいいわけではないのだろう。
歩き方や首の傾け方、手の動きひとつにも意味がある。
少し大げさに見える動きであっても、舞台の上ではそれが美しい表現になる。
吉沢亮が演じる喜久雄と、横浜流星が演じる俊介。
二人の並びも実に絵になる。
ちなみに、吉沢亮はこの作品のために約1年半にわたって歌舞伎の稽古に取り組んだとされている。
もちろん、短期間の稽古で本物の歌舞伎役者と同じになれるわけではない。それでも、映画の中で見せる所作には相当な努力が感じられた。
そして、ここで忘れてはいけないのが横浜流星だ。
喜久雄だけが目立つのではなく、俊介にも俊介の苦しみがある。
二人が同じ舞台に立つからこそ、それぞれの美しさや個性が際立つ。
俳優としての演技だけでなく、歌舞伎の所作まで身につけなければならない。
これは相当な覚悟が必要だったと思う。
この二人を観ているだけでも、この映画を観る価値は十分にある。
3. 喜久雄と俊介、才能か血筋か。どちらが本当に恵まれているのか?
この映画の大きなテーマのひとつが、才能と血筋だと思う。
喜久雄は任侠の家に生まれ、父親を抗争で失う。
一方の俊介は、歌舞伎の名門に生まれた御曹司だ。
同じ世界に身を置きながら、二人の出発点はまったく違う。
喜久雄には才能がある。
しかし、どれだけ努力しても、生まれながらに持っているものでは越えられない壁がある。
俊介には血筋がある。
けれど、血筋があるからといって、本人が必ずしも幸せになれるわけではない。
僕は、この二人の関係がとても面白かった。
単純に、才能がある喜久雄がかわいそうで、恵まれた俊介がうらやましいという話ではない。
俊介には俊介の苦しみがある。
周囲から期待され、跡取りとして見られ、父親の名前や家の歴史を背負って生きなければならない。
それはそれで相当な重圧だろう。
一方の喜久雄は、実力で認められなければ居場所を失ってしまう。
どちらが幸せなのかは簡単には決められない。
ただ、僕が強く感じたのは、人間というのは自分にないものを持っている相手が、どうしても気になってしまう生き物なのだということ。
尊敬している相手でも、いつか追い越したいと思う。
仲間であり、ライバルであり、時には嫉妬の対象にもなる。
こういう感情は、歌舞伎の世界に限った話ではない。
会社でも、スポーツでも、商売でも同じだと思う。
自分より恵まれているように見える人間をうらやましく思ったり、努力しているのに報われない自分に腹が立ったりする。
口では応援していても、心の奥では負けたくないと思っている。
人間はそんなに立派なものではない。
だからこそ、喜久雄と俊介の関係に引き込まれたのだと思う。
4. 田中泯の存在感がすごい。芸に人生を捧げるとはどういうことなのか
個人的に、かなり印象に残ったのが田中泯の存在感だ。
登場したときの独特な雰囲気。
何かを語らなくても、そこにいるだけで空気が変わるような不思議な迫力がある。
この人が演じる万菊という人物には、普通の役者とは違う世界を生きてきた人間の重みを感じた。
美しいだけではない。
どこか恐ろしく、近寄りがたい。それでいて目が離せない。
僕はこういう人物が出てくる映画が好きだ。
ちなみに、田中泯は実際に世界的な舞踊家として活動してきた人でもある。
身体そのものを使って表現してきた人だからこそ、あの独特の存在感にも説得力があるのかもしれない。
そして、この映画を観ながら何度も考えた。
芸に人生を捧げるというのは、いったいどういうことなのだろう。
普通なら大切にするはずの家族や恋人、自分の幸せ。
そういうものを犠牲にしてまで、ひとつの芸を極めようとする。
もちろん、それだけの覚悟があるからこそ、普通の人には到達できない場所にたどり着けるのだろう。
ただ、僕は正直、憧れはしなかった。
すごいとは思う。
尊敬もする。
でも、自分にはできないと思った。
おそらく、途中で逃げ出してしまう。
人生には、仕事以外にも大切なものがある。家族との時間もあれば、何気ない日常の幸せもある。
それらをすべて脇に置いて、ひとつのことに人生を懸ける。
その生き方を否定するつもりはないが、自分が同じ立場になったら、そこまでの覚悟を持てる自信はない。
だからこそ、この映画に登場する人たちの生き方が、余計に強烈に映ったのかもしれない。
5. 映画『国宝』を観て、本当の国宝とは何なのか少し分かった気がした
映画を観終わって、改めて考えたのが「国宝」というタイトルの意味だ。
国宝という言葉から、最初に思い浮かぶのは、長い年月をかけて受け継がれてきた価値のあるもの。
しかし、この映画を観ると、そんな簡単な言葉では片づけられなくなる。
ひとつの芸を極めるために、どれだけの時間を費やし、どれだけのものを犠牲にしてきたのか。
才能だけではなく、血筋だけでもなく、嫉妬や執念、悔しさや孤独まで抱えながら、それでも舞台に立ち続ける。
その積み重ねの先にあるものが、国宝と呼ばれるものなのかもしれない。
ただ、僕はこの映画を観て、国宝になることが幸せなのかどうかまでは分からなかった。
むしろ、そこまでの人生を考えると、少し怖くもなった。
人から認められることと、自分が幸せであることは、必ずしも同じではない。
どれだけ評価されても、本人にしか分からない苦しみがある。
それでも、人生のすべてを懸けて何かを追い求める人間の姿には、やはり心を動かされるものがある。
僕は歌舞伎の専門家でもなければ、詳しい知識があるわけでもない。
それでも、この映画を観て、国宝という言葉の意味が少しだけ分かったような気がした。
175分という長さも、観終わってみればあっという間だった。
そして、もう一度観たいと思った。
最初に観たときには気づかなかった表情や、二人の関係の変化、舞台の意味など、改めて確認したいところがいくつもある。
歌舞伎に興味がない人にも、ぜひ観てほしい作品だ。
人間の嫉妬や執念、才能と血筋、そして何かに人生を懸けることの意味。
これは歌舞伎だけの話ではない。
自分の人生と重ねながら観ると、また違った感想が出てくると思う。
映画『国宝』。ただ美しいだけではない、人間の業まで描いた見応えのある一本だった。

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