映画『あんのこと』感想|実話の母親は現在どうしている?あらすじ・キャストと杏の人生を考察

映画『あんのこと』感想|実話の母親は現在どうしている?あらすじ・キャストから考える、人生は努力だけで変えられるのか

映画って、観終わったあとに「いやあ、面白かった!」と言って終われる作品もあれば、いつまでも頭から離れない作品もある。

今回観た『あんのこと』は、間違いなく後者だった。

最近、河合優実さんが出演している映画やドラマを結構観ている。若いのに、ずいぶん存在感のある女優さんだなと思っていたんだけど、この映画はちょっと別格だった。

正直、観ていて楽しい映画ではない。

むしろ、途中で何度も「もう勘弁してくれよ」と言いたくなる。

それなのに、目をそらすことができないんだよね。

僕はこれまで、映画をかなりの本数観てきた。人間観察が好きなんだろな。

旅行に出かけても、ついつい周りの人を観察してしまう。人間って面白いなと思う反面、どうしてそんなことができるんだろうと、理解できなくなることもある。

そんな僕が『あんのこと』を観て、いちばん考えさせられたのは、人間は本当に、自分の努力だけで人生を変えられるのだろうか? ということだった。

今回は、映画のあらすじやキャスト、実話との関係、気になる母親の現在について触れながら、僕なりの感想を書いてみたい。

※この記事には映画のネタバレが含まれます。

映画『あんのこと』のあらすじ|杏が初めて知った、普通の暮らし

映画『あんのこと』は、2024年公開の日本映画。監督・脚本は入江悠さん。2020年に新聞に掲載された実際の事件に着想を得て作られた作品だ。

主人公は、21歳の女性・香川杏。

杏は幼い頃から母親に暴力を振るわれ、学校にもまともに通えずに育ってきた。10代の頃から売春を強いられ、薬物にも依存するようになってしまう。

普通の家庭で育った人なら、当たり前だと思っていることが、杏には当たり前じゃない。

安心して眠ること。誰かを信じること。明日のことを考えて生活すること。

そういうものを十分に知らないまま、大人になってしまった女性なんだよね。

そんな杏の人生が少しずつ変わり始めるのは、刑事の多々羅保と、ジャーナリストの桐野達樹に出会ってからだ。

薬物依存から抜け出すための支援を受け、仕事を始め、夜間中学にも通うようになる。

自分のことを気にかけてくれる人がいる。仕事を紹介してくれる人がいる。自分の話を聞いてくれる人がいる。

杏にとっては、それまで知らなかった世界だったのかもしれない。

薬物を使わなかった日に、手帳へ丸をつける場面も印象に残った。

たったひとつ丸をつけるだけ。

でも、そうやって一日一日を積み重ねることが、杏にとっては大きな意味を持っていたんだと思う。

僕たちは、何かを始めようと思ったら、明日から頑張ればいいなんて簡単に言ってしまう。

でも、今日一日を無事に過ごすことさえ難しい人もいる。

杏は、ようやく自分の人生をやり直そうとしていた。

ところが、そこに新型コロナウイルスの流行が重なってくる。

せっかく見つけた居場所が揺らぎ、周囲の人間関係にも変化が起きる。

観ているこちらとしては、「頼むから、もう少しだけでも幸せにしてやってくれよ」と言いたくなる。

でも、人生って、こちらの都合なんかお構いなしに、次から次へといろんなことが起きるものなんだよね。

この映画は、その現実を容赦なく突きつけてくる。

『あんのこと』は実話?母親は現在どうしているのか

この映画を観る前と後では、作品の受け取り方が変わると思う。

なぜなら、『あんのこと』は完全なフィクションではないからだ。

2020年6月に新聞で報じられた、ある女性の人生に着想を得ている。

実話のモデルとなった女性は、報道では「ハナ」という仮名で紹介された。幼い頃から家庭内で暴力を受け、学校に通えず、売春や薬物依存に苦しみながらも、周囲の支援を受けて生活を立て直そうとしていた。

映画の主人公である杏は、実際の女性をそのまま再現した人物というわけではない。実話を土台にしながら、映画として構成された物語だ。

それでも、モデルとなった女性が実際に存在したと知ると、簡単には割り切れなくなる。

「こんな人生、映画だから大げさに描いているんじゃないの?」

そう思いたくなるけれど、現実に起きたことをきっかけに作られた作品なんだよね。

そして、観ているうちに気になってくるのが、杏の母親だ。

本来なら、子どもにとって一番安心できる場所であるはずの家庭。その家庭が、逃げ場のない苦しい場所になってしまう。

母親の春海は、杏に暴力を振るうだけでなく、娘を自分の都合に巻き込んでいく。

観ていて腹が立つ。

親だからといって、何をしても許されるわけじゃない。子どもは親の所有物じゃないんだから。

ただ、僕は映画を観ながら、怒りと同時に、もうひとつ考えてしまった。

こういう家庭の中で起きていることを、周りの人間はどこまで知っていたんだろう。

もちろん、事情を知らなかった人を簡単に責めることはできない。家庭の中の問題は、外から見えにくいものだからだ。

それでも、誰かがもっと早く気づいていたら。杏が子どもの頃に、安心して頼れる大人が一人でもいたら。

そんなことを考えてしまう。

では、実話のモデルとなった女性の母親は、現在どうしているのだろうか。

ここは気になる人も多いと思うけれど、母親の現在の居場所や生活状況については、信頼できる公開情報で確認できる範囲が限られている。映画の描写だけをもとに、実際の母親の現在まで断定することはできない。

僕がこの映画で考えさせられたのは、母親が今どうしているかということだけじゃない。

なぜ、子どもが逃げ場のない家庭で苦しんでいるとき、社会はもっと早く手を差し伸べられないのだろう。

親子の問題だからといって、すべてを家庭の中だけで解決させる必要はないはずだ。

子どもを守るためには、家族以外にも頼れる場所が必要なんだと思う。

河合優実・佐藤二朗・稲垣吾郎のキャストが描く、人間の複雑さ

『あんのこと』の主なキャストは、次のとおり。

  • 河合優実:香川杏
  • 佐藤二朗:多々羅保
  • 稲垣吾郎:桐野達樹
  • 河井青葉:香川春海(杏の母親)
  • 広岡由里子:杏の祖母
  • 早見あかり:三隅紗良

やっぱり、河合優実さんの演技はすごかった。

ただ、僕がすごいと思ったのは、悲惨な人生を背負った女性を演じていることだけじゃない。

杏は、ずっと悲しそうな顔をしているわけじゃないんだよね。

誰かと話しているときに、ふっと笑う。仕事を覚えようとする。少しずつ人を信じようとする。

そんな何気ない姿が、かえって胸に刺さる。

もし杏が、安心できる家庭で育っていたら。学校に通って、友達と遊んで、将来は何になろうかなんて考えながら暮らしていたら。

どんな人生になっていたんだろう。

そんなことを考えずにはいられない。

河合優実さんの演技には、杏を単なる「かわいそうな人」にしてしまわない力があったと思う。

杏にも感情がある。希望がある。誰かとつながりたいという気持ちがある。

そこが伝わってくるからこそ、彼女が追い詰められていく姿がつらい。

一方で、佐藤二朗さんが演じる多々羅も、簡単に割り切れない人物だ。

杏に手を差し伸べ、人生を立て直すきっかけを与える存在でありながら、彼自身にも問題がある。

人間って、こういうところが難しい。

誰かに優しくできる人間が、別の場面では誰かを傷つけてしまうこともある。

ひとつの良い行いが、その人のすべてを正当化するわけじゃない。

逆に、ひとつの失敗だけで、その人のすべてが分かるわけでもない。

稲垣吾郎さんが演じる桐野も含めて、この映画に登場する人たちは、ただ善人と悪人に分けられるような存在ではないんだよね。

人間を観察するのが好きな僕としては、そこがとても印象に残った。

人間には、いろんな顔がある。

だからこそ、誰かを理解するのは難しいし、簡単に決めつけてはいけないんだと思う。

ただし、事情があることと、誰かを傷つけていいことは別の話だ。

この映画は、そのあたりもきちんと考えさせてくれる。

「頑張れば何とかなる」は、誰にでも通用する言葉なのか

僕は、どんな人生にも山あり谷ありだと思っている。

順調なときもあれば、何をやってもうまくいかないときもある。

僕自身、これまでいろいろなことを経験してきた。だから、苦しいことがあっても「何とかなるさ」と思いたい気持ちはある。

実際、そうやって乗り越えてきた人もたくさんいるだろう。

でも、『あんのこと』を観ていると、その言葉を簡単には口にできなくなる。

「生まれや育ちは変えられない。でも生き方は変えられる」

たしかに、そうかもしれない。

ただ、そこには条件があるんじゃないだろうか。

自分の力で何とかしようと思えるだけの余裕があること。困ったときに相談できる人がいること。失敗しても、もう一度やり直せる場所があること。

そういうものがあって、初めて前を向ける人もいる。

幼い頃から暴力を受けてきた人に、「もう大人なんだから、自分の人生は自分で何とかしなさい」と言ったところで、そんなに簡単にできるものじゃない。

人を信じることだって、普通に暮らすことだって、経験が必要なんだよね。

僕たちが当たり前だと思っていることが、誰にとっても当たり前とは限らない。

それを忘れてはいけないと思う。

杏は、決して何もしていなかったわけじゃない。

仕事を始め、学校に通い、薬物をやめようと努力していた。

自分の人生を変えようとしていたんだ。

それなのに、本人の努力だけではどうにもならないことが起きてしまう。

ここが、この映画の一番苦しいところだと思う。

もし自分が杏と同じ家庭に生まれていたら、同じように育っていたら、果たして今と同じ人生を歩めただろうか。

僕には、そんなことを断言できる自信はない。

自分なら絶対に大丈夫だった、なんて言えないんだよね。

もちろん、すべてを環境のせいにすればいいという話でもない。

でも、本人の努力が足りなかったという一言だけで、その人の人生を判断するのは違うと思う。

そして、これは杏だけの話でもない。

僕たちの周りにも、表面上は普通に暮らしているように見えて、実は誰にも言えない事情を抱えている人がいるかもしれない。

人間なんて、外から見ただけでは分からないことだらけだ。

だからこそ、簡単に人を見下したり、努力が足りないと決めつけたりすることには、気をつけたいと思う。

まとめ|映画『あんのこと』を観て、人生は何とかなると簡単に言えなくなった

映画『あんのこと』は、観終わったあとにスッキリする作品ではない。

むしろ、いろんなことを考えさせられて、気持ちの整理がつかなくなる映画だ。

杏の母親に腹が立つ。彼女を助けようとした人たちの行動にも、いろいろ考えさせられる。そして、杏がようやく手にしかけた普通の生活を思うと、やりきれない気持ちになる。

でも、僕はこの映画を、ただ悲しい物語として終わらせたくない。

杏は、何も望んでいなかったわけじゃない。

普通に働き、勉強し、人とつながり、自分の人生を生きようとしていた。

彼女にも、これからやってみたいことがあったはずだ。

そう考えると、どうしても思ってしまう。

もし、もう少し早く安心できる場所に出会えていたら。

もし、困ったときに何度でも頼れる仕組みがあったら。

もし、彼女が生まれた家庭や育った環境が違っていたら。

そんな「もしも」を考えても、答えは出ない。

それでも、考える意味はあると思う。

僕はこれまで、つらいことがあっても、何とかなると考えてきた。

これからも、できればそう思って生きていきたい。

だけど、この映画を観て、少し考えが変わった。

人生は、本人の頑張りだけで何とかなるとは限らない。だからこそ、誰かが支えることにも、社会が支えることにも意味がある。

これは、きれいごとじゃないと思う。

誰だって、いつ何が起きるか分からない。

自分が困ったとき、誰かに助けてもらうことだってあるだろう。

僕には妻も子どももいる。だからこそ、家族というものについても考えさせられた。

家族がいることと、安心できる家庭があることは、必ずしも同じじゃない。

同じ家に住んでいても、気持ちが通じ合わないことだってある。反対に、血のつながりがなくても、手を差し伸べてくれる人がいることもある。

大切なのは、形だけのつながりじゃなく、相手が本当に困っているときに気づけることなのかもしれない。

もちろん、僕だって立派な人間じゃない。人の気持ちをすべて理解できるわけでもない。

だからこそ、簡単に人を決めつけないようにしたいと思う。

河合優実さんの演技も素晴らしかったし、作品としても強く印象に残った。

ただ、観終わって一番心に残ったのは、杏の人生そのものだった。

「頑張れば何とかなる!」

そう言いたくなるときはある。

でも、その言葉をかける前に、相手がどんな人生を歩いてきたのか、少しだけ想像してみることも必要なんじゃないだろうか。

「人生、何とかなるよ!」と簡単に言う前に、何とかならないところまで追い詰められている人がいることも、忘れちゃいけないんだよね。

重い映画だった。

正直、誰にでも気軽におすすめできる作品ではない。

それでも、観てよかったと思う。

こういう映画を観て、普段なら考えないことを考える。自分とは違う人生を歩いてきた人のことを想像する。

それも、映画を観る意味のひとつなんじゃないかな。

そんなことを、あらためて考えさせられた一本でした。

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